サファイア姫、俺たちの「性癖」に物理攻撃仕掛けてきた件w
あの頃、俺たちは一体何を摂取してたんだ…(遠い目)
いや、マジで記憶が薄いんだよな、何で見たのか。親戚のおばちゃんの家で、子供部屋にあった古びた本棚の奥に、それはあった。「リボンの騎士」。表紙の絵が、なんかこう…「キラキラ」しすぎてて、逆に「うわっ、なんかヤバい」って思ったんだわw 子供心に「これは俺たちの領域とは違う…」って感じた。思春期前の、ただ「お姉さんキャラ」とか「巨乳」に惹かれるような、純粋無垢(?)な俺たちとは、明らかに次元が違った。小学生男子が「王子様」に憧れるって、どういう脳回路で回路が繋がってたんだっつーのw
「リボンの騎士」を今、俺たちの「性癖」フィルターで再読する
まず、手塚先生、マジで「神」。そりゃそうだって話なんだけど。この「男女両性の心を持つ」とかいう設定、今見るとマジで「時代が早すぎる」だろw 当時、俺たちが「男になりたい」「強くなりたい」とか漠然と思ってたのと違って、サファイア姫は「どっちでもいい」っていう、悟りを開いたスタンス。その「どっちでもいい」が、逆に「どっちでもいい」を体現してるっていう、この深淵よ。
ぶっちゃけ、当時は「なんで男なのにスカート履いてんだ?」とか「すぐ泣くやんけ!」とか、そういう「表層的な萌え」しか見てなかったわけ。でも、大人になって(いや、30過ぎても中身は中学生だけど)、改めて読むと、サファイア姫の「葛藤」とか「自己受容」みたいな、そういう「重量級」テーマがドカンと来るわけ。少女漫画の皮を被った、超絶アカデミックな「欲望学」かよw
で、峰子さん(ヒロイン属性?)とか、フランツ王子(王道属性?)とか、周りのキャラクターもまた「属性」が濃いんだよな。なんか、当時の少年漫画じゃ絶対出てこないような「繊細さ」とか「優しさ」が、これでもかってくらい詰まってる。俺たちが求めてたのは、もっと「ドカーン!」とか「ゴゴゴ…」みたいなわかりやすい「エロさ」だったのに、手塚先生は「ふふ…」とか「あらあら…」みたいな、そういう「静かなるエロさ」を魅せてくる。正直、当時の俺には、その「静かなるエロさ」の凄さが、完全に「視界外」だったんだなって。
小ネタ(俺的「性癖」コレクション)
- 「性別」って、結局「箱」にすぎない説: サファイア姫を見てると、マジでそう思う。中身が大事ってのは、まあ、うん、その通りなんだけど、その「箱」をどう扱うかで、人生(?)変わるよなって。俺もそろそろ、新しい「箱」を導入しようか迷ってるわw
- 悪役の「動機」が、なんか「理解できなくもない」件: あの辺の貴族とか、なんか「地位」とか「名誉」とか、そういうのに執着してるわけだけど、いや、まあ、わからなくもないんだよな。俺だって、新しいフィギュアが欲しいとか、限定版のラノベが手に入らないとか、そういう「執着」はあるわけだし。でも、サファイア姫みたいに「どっちでもいい」ってなれたら、もっと楽なんだろうなって。
- 「宝塚」とか「男装女子」とか、後世への影響、半端ねえな: まあ、これは言わずもがなだけど。手塚先生、マジで「先見の明」というか、そういうレベルじゃねえな。俺たちの「欲望」の源流の一つなんだろうなって、勝手に思ってる。w
結論として、「リボンの騎士」、マジで「名作」っつーか、「倫理観」とか「性自認」とか、そういう「現代社会」で騒がれてることの、遥か昔からの「回答」が、ここに静かに佇んでるわけ。俺たちが「やれやれ」とか「草」とか言ってる間に、手塚先生はもう「遥か彼方」まで見通してたんだなって。…なんか、ちょっと悔しいな、おいw
*今日の手帖に記したモノ: 手塚治虫 manga リボンの騎士